地域で、写真文化の守り手になりたい
1980年代、フィルムカメラが全盛の時代に登場したデジタルカメラは、DPE(現像、焼付け、引き伸ばし)が不要で、撮影画像をモニタですぐに確認できるという、それまでには考えられなかった手軽さがうけ、一気に広がりました。2000年代になるとデジタルカメラはフィルムカメラの生産台数を追い越し、カメラの主流となります。
フィルムはなくなるの?・・ちまたで不安の声があがっていたころ、注目を浴びた新聞広告がありました。(下記参照)
2006年、安井さんが掲載した「メッセージ広告」です。そこには、“フィルム写真とデジタルを共存させる”固い決意が込められていました。大手フィルムメーカーや写真店が次々とフィルムから撤退する中、このメッセージは消費者の気持ちを、利益やコストより何よりも優先していました。
2011年におこった東日本大震災は、プリント写真の持つ力を再認識させました。震災によって奪われたアルバムや写真を、がれきから拾い集め、持ち主に渡すボランティアの姿が報道され、写真がどれほど人の心を揺さぶるのか、あのとき私たちは目の当たりにしました。
おそらく、安井さんは写真の持つ重みを知り尽くしている。だからこそ震災の何年も前に、“フィルム写真を存続させる”広告を出さずにはいられなかったのです。
「デジタル写真は何度でも撮り直せますし、データとして保存できる。扱いやすく手軽なものです。これはデジタルの利点です。しかしフィルム写真には、その場限りの一瞬でしか写すことのできない重みがあり、それは、デジタルが凌駕できない部分でしょうね」と安井さんは言います。