おとくにの職人…P14

河井 智企さん(数寄屋大工)

日本を代表する数寄屋建築の名棟梁、齋藤光義さんのもとで腕を磨く

 住宅大工になりたかった河井さんは、専門学校を卒業し、安井杢工務店の面接を受けました。安井杢工務店(向日市)は、江戸時代から300年以上続く名門工務店です。全国の重要文化財の修復、茶室などの数寄屋建築、一般住宅から学校など公共施設まで、幅広く請け負う会社です。 知人の紹介で面接にやって来た河井さんは、なんと、金髪にジャージという出で立ちでした。

 「親方が一人、弟子は自分一人くらいの規模だと思い込んでいて」と苦笑。社長には叱られたそうですが、「入社したら黒髪に」を条件に合格。

 入社後は一人前の職人となるための下積みが始まります。いかつい風貌の風変わりな新人でしたが、憎めない人柄。新人の頃、バケツやポットの“らくがきの絵”は「上手すぎて消せなかった」と、先輩大工は当時を思い出して笑います。

  鑿(ノミ)や鉋(カンナ)の加工がうまく、早くできたこともあり、現場の職務を少しずつ与えられ、徐々に仕事をまかせてもらえるようになりました。

 入社以来19年間、育ててくれた師匠は、数寄屋建築界の名棟梁、齋藤光義さんです。大工は手取り足取り教えてくれる世界ではありません。「親方には仕事は盗んで覚えろ、と言われました。質問するにも自分でまず吟味し努力して、聞きたいことを整理し、どうしても分からないことだけ聞くようにしました。できない技術があれば、できるまで加工場にこもり黙々とやっていました」と河井さん。

 とにかく失敗を指摘されたり、人からとやかく言われるのは大嫌い。「失敗したくないから」人知れず陰で努力を重ねました。河井さんのやる気、意気込み、目の輝きを、誰よりも評価していたのが齋藤棟梁でした。

 

 

入社15年目、杮葺の純日本建築を1棟まるごと担当し、完璧にやり遂げる。

 精緻な計算と繊細な手作業を用いる数寄屋建築の奥深さに魅了され、河井さんは、突き詰められた伝統の技を次々と習得していきました。 

 入社して15年たったとき、栗の木を使った伝統的日本建築・敷地内に3棟建つ、超高級別荘の1棟をまかされました。今までにない仕事です。完成したとき、「ご両親に見てもらったらどうや」と、棟梁が見学の機会をもうけてくれました。家族4人で来られた河井家の皆さんは、素晴らしい建築を見て驚き「こんなに立派な仕事が出来る大工になったのか!」と感激されたそうです。

 「親があんなに喜んでくれたのも嬉しかったですが、それ以上に親方の心意気が嬉しかった。やんちゃ息子がようやく一人前になりましたと、親を安心させたかったんやと思います」

 重要文化財など多くの建築工事を経て、河井さんは現在「職長」という、現場を指揮・監督する役職を務めています。職人に指示するためのカンバン板という大工さんの設計図を書いたり、木材を選び墨付けをしたり、現場作業に入る前の重要な役割も職長が担います300年以上続く伝統の工務店で、いま、河井さんはなくてはならない存在なのです。

 

取材日に同席される予定だった齋藤棟梁が、急逝されました。河井さんの取材には、総務の長谷川さんが立ち会われ、自然と亡き棟梁の思い出話になりました。
齋藤棟梁のご冥福をお祈りいたします。(H31.2.26取材)

 

株式会社 安井杢工務店
https://www.yasuimoku.co.jp
京都府向日市上植野町馬立2-4
TEL:075-933-0012

 

 

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