日本を代表する数寄屋建築の名棟梁、齋藤光義さんのもとで腕を磨く
住宅大工になりたかった河井さんは、専門学校を卒業し、安井杢工務店の面接を受けました。安井杢工務店(向日市)は、江戸時代から300年以上続く名門工務店です。全国の重要文化財の修復、茶室などの数寄屋建築、一般住宅から学校など公共施設まで、幅広く請け負う会社です。 知人の紹介で面接にやって来た河井さんは、なんと、金髪にジャージという出で立ちでした。
「親方が一人、弟子は自分一人くらいの規模だと思い込んでいて」と苦笑。社長には叱られたそうですが、「入社したら黒髪に」を条件に合格。
入社後は一人前の職人となるための下積みが始まります。いかつい風貌の風変わりな新人でしたが、憎めない人柄。新人の頃、バケツやポットの“らくがきの絵”は「上手すぎて消せなかった」と、先輩大工は当時を思い出して笑います。
鑿(ノミ)や鉋(カンナ)の加工がうまく、早くできたこともあり、現場の職務を少しずつ与えられ、徐々に仕事をまかせてもらえるようになりました。
入社以来19年間、育ててくれた師匠は、数寄屋建築界の名棟梁、齋藤光義さんです。大工は手取り足取り教えてくれる世界ではありません。「親方には仕事は盗んで覚えろ、と言われました。質問するにも自分でまず吟味し努力して、聞きたいことを整理し、どうしても分からないことだけ聞くようにしました。できない技術があれば、できるまで加工場にこもり黙々とやっていました」と河井さん。
とにかく失敗を指摘されたり、人からとやかく言われるのは大嫌い。「失敗したくないから」人知れず陰で努力を重ねました。河井さんのやる気、意気込み、目の輝きを、誰よりも評価していたのが齋藤棟梁でした。