庭師とは何か
「まずは…」と案内されたのは、天神さんの本殿へ上がっていく階段脇。ほんのりと木の香りが残るその場所にあったのは、大きなクスノキの切り株。樹齢100年にもなろうかという巨木を、先週伐採したといいます。樹木が持つ独特の芳香に、切り倒されてもなおそこに生き続けているかのような不思議な力を感じていました。
「自分が生きてきた年数よりも、ずっと長い年月を生きているのが樹木です。そして、この先も、自分たちよりも、もっともっと長く生き続けるのも樹。そういう営々と続く歴史の中で、『今』を託されているということを常に意識しながら仕事をする、それが庭師なんです」と。
雄弁です。そして、熱い。出会って、ほんの数分で、庭師・梅野星歩の世界に引き込まれていきます。
梅野さんが手がける庭は、個人宅のごく小さな庭から地域のランドマークともいえる歴史ある寺社の庭園まで、実に様々です。メンテナンスに費用も時間もかかる庭は、今の時代は贅沢品。ましてや庭師に施工・管理を任 そうという人は、正直多くはないのかもしれません。だからこそ、「ご縁をいただいた庭」への思いは熱く、その大きい、小さいではなく、どの現場でも「恩返し」との思いで、全力投球していると笑います。
例えば、「もう歳もとったし管理がたいへんだから」と相談を受ければ、困っていることを聞き取るだけでなく、庭での家族の思い出話もじっくり聴きます。そうして、雑草から解放されるようにコンクリートや石を多用しつつも、思い出のある樹や庭石を活かす庭づくりをしていきます。一方、長い歴史を持つ寺社の庭園は、いつまでも美しく存在し続けるために、肥料を与え、害虫の駆除をし、枝をはらうという日々の地道な作業を担うことはもちろんですが、守るだけに留まらず、今の時代を生きる施主の「思い」を引き出し、具現化していくことが自分の役割だと梅野さんは言います。
「施主様は、ぼんやりとしているけれど、心の中に『こうしたい』を持っているんです。それを汲み取って、庭師である自分のフィルターを通してアウトプットしています。庭師というのは職人であると同時に、クリエイターなのだと思っています」と。
庭師という仕事への誇りが、言葉の端々から溢れ出るようです。
偶然か必然か…庭師・梅野星歩の誕生
京都市内に円山公園や無鄰菴といった数々の名園を残している小川治兵衛は、たしか「七代目小川治兵衛」。造園業が「庭師」という特別な文化人としての地位を確立している京都では、代々の家業を継いで…というものなのだと思っていました。乙訓地域の有名な寺社を任されている梅鉢園さんですから、さぞかし歴史は長いのだろうと思い「何代目ですか?」と伺うと、なんと初代! 農業の先生だったというおじい様の影響で、土や植物とは近しい環境にはいたといいますが、造園とは全く無縁な家庭に育たれています。逆にいえば、京都という土地で、歴代という後ろ盾なく長い歴史を経た名庭を任されるまでに信頼を得ることは、至難だったのではと推察します。梅野さんを、「庭師・梅野星歩」へと導いたものは何だったのでしょうか。
「16歳の時に母を亡くしました。人の命って何だろう?とか、人生ってなんだろう?とか、考えてしまったんですね。その頃、長法寺の田村家住宅(※ 国の登録有形文化財に登録されている長岡京市長法寺にある旧医家)や楊谷寺さんに行って、よく庭を眺めていました。漠然とですが、庭はいいなぁと、思ったのかなぁ。じゃあ、高校卒業したら、庭の勉強してみようかと、九州にある造園を学べる大学に進学しました」
人生の大きな試練の時に、庭と出会い、進むべき道を示された梅野さん。「漠然と」とは言うものの、そこには「何かに導かれた」との思いがあるのだろうなぁと思っていると、こう言葉を続けました。
「たくさんの選択肢がある中で、この仕事を選んだ、そこに意味があると思いますし、意義を考えていきたいですね。仕事は楽しいですが、苦しみも多いです。ここでいいやという満足感を感じることはなく、いつもどこかに宿題をもらいます」。
インタビューの最後にカメラを向けると、梅鉢園と染め抜かれた法被を羽織り、キリっとポーズを決める梅野さんがいました。オーラがあります。This is the庭師! 梅野さんが庭師になられたのは、偶然ではなく必然だったのだろうなと確信しました。
残るべくして残るものを造りたい 新たな挑戦
京都文化財マネージャーや京都景観エリアマネージャーといった肩書も持つ梅野さん。これらはどちらも京都という貴重な歴史的建造物が残り、日本の伝統文化が息づいているまちにあって、それを守り、後世に伝えるために「専門知識を持ち、発信していく人」に与えられる証です。ネットで紹介されている京都景観エリアマネージャーの育成プログラム「京都景観エリアマネジメント講座」を覗いてみると、建築や景観デザイン、さらには政策や法律までも、じっくりと学び、多彩なメンバーとフィールドワークをするという、本格的でハードなプログラムでした。
「今は、時代の転換期にきていると思うんです。京都では文化として先人たちが残してきた庭園も、色々な意味で危機的な状況にあります。2018年は巨大な台風の被害を京都は受けました。長岡天満宮も楊谷寺も被害はたいへんなものでした。樹木の寿命もあり、維持管理していくことが難しい。古いというだけで残せる時代ではありません。いつの時代にも通用する普遍的な価値を見出せるかですし、今生きている人の思いを昇華できるものを創っていけるかが問われます。京都の文化を守ろうという信念を持つ人たちと交流することで、何かが生まれるのではないかと思っています」。
新たな挑戦への思いを語る梅野さんのフィールドは、乙訓から京都、そして、世界へと広がっていきます。昨年9月、日本の庭園文化の魅力を世界に伝えるために、ニューヨークでの講演会に招聘された梅野さん。色々な意味で、転機となったようです。
ニューヨークでは、あらためて、日本の伝統・文化への世界からの注目度の高さを実感するとともに、庭園が持つ普遍的な美しさは言葉なしでも伝わることに感動したといいます。そして、この地で、公園の在り方を考えさせられる2つの場所にも出会ったとのだと。
一つは、ブライアント・パーク。ニューヨーク市マンハッタン区にある広大な公園で、タイムズスクエアとグランド・セントラル駅の中間に位置し、オフィスビルに囲まれた中で緑豊かな美しい公園です。梅野さんが訪れたのは平日の10時頃。オンビジネスなこの時間に、たくさんの人がパソコンを持ちだし仕事をしていたり、語らっていたり、読書をしていたり…。「公園が生活に密着しているんです。驚きましたし、嫉妬を感じましたね。公園を人が集う場所にしていく、それが公園の役割のひとつだと教えられました」。
さらに、もう1か所は、グランド・ゼロ。2001年9月11日に起きた同時多発テロにより、飛行機が激突し倒壊した旧ワールド・トレード・センターの跡地です。今、ここは、国営の追悼博物館「911メモリアルミュージアム」ができ、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑も建てられ、祈りの場所となっています。梅野さんは、この場に立ち、「世界で起きていることに無関心でいてはいけない」と深く考え込んだのだといいます。
今いる場所に安穏とせずに、アンテナを高く掲げ、クリエイターとしての庭師の可能性を広げることに迷いがない、梅野さんが語る熱気に圧倒させられっぱなしでした。
新型コロナウィルスが猛威をふるい、今年の春は「自粛」の一色になりました。例年は、2月の梅に始まり、桜が咲き、キリシマツツジの鮮やかな赤い花で埋め尽くされる天満宮で春を存分に楽しめば、梅雨の楊谷寺では、艶やかに咲き誇る5000株ともいう紫陽花が楽しませてくれ、心浮き立つ季節の到来です。花を愛でることすら制限されてしまった世界は寂しい限り。
しかし、こんな時も、梅野さん率いる梅鉢園の庭師たちは、しっかりメンテナンスし、秋の紅葉、そして、来春の花の便りを届けてくれるはず。その日を楽しみに、待っていましょう。
(松野 敬子)
<インフォメーション>
庭造り 株式会社梅鉢園
長岡京市天神4丁目13番6号 ☎075-955-2281
e-mail info@umebachien.jp HP http://umebachien.jp