大山崎の高台に素敵に暮らす女性がいます
「この解放感のある景色。素敵でしょう」
山崎聖天さんがお散歩コースという、大山崎町の高台に位置する羊子さんのご自宅。季節の野菜や草花がところせましと育っている自慢の庭へ向かうには、長い階段を上がっていきます。途中で振り返ると眼前に広がるのが、木津川、宇治川、桂川の三つの川が淀川にそそぐ三川合流の景観です。太平洋に広がるまち、静岡県清水市(現在は静岡市清水区)で生まれ育った羊子さんは、こののびやかな景観に心惹かれ、居を構えたのが22年前といいます。どこかキリッとしたハンサムウーマンな空気感のある羊子さん。出身が清水市だと伺い、なるほど。清水は、「清水の次郎長」という義理人情に厚い伊達男を育てた土地柄ですから。羊子さんは、「京都の人とは全然違うの! サバサバしているのよ、私は」と笑います。
58歳の時に、乳がんに
「乳房を残すことにこだわりはありますか?」
乳がんの治療方針を決める場面で、医師から尋ねられた言葉。「これで生きていますってもんじゃないし、無くてもいいかな…」。それはけっして「サバサバ」ではなかっただろうなと感じていると、一息置いて「生きることに前向きになろうと思ったのよ」と。穏やかだけど、キリッ言い切る一言が胸にズキンと響きました。言葉に力がある人です。
羊子さんが乳がんの診断を受けたのは2008年。半年間の術前抗がん剤治療を行った後、全摘手術を受け、術後治療と検診を続け今年で8年目。乳がんの治療は8年間の経過観察を経てようやく「一安心」といわれており、8年間を羊子さん自身も乳がん患者を生きてきたということです。
そんな羊子さんが、乳がんの患者さんに寄り添い、支援するピアサポート活動に情熱を傾けています。2011年に、乳がん体験者コーディネーターの認定資格(認定団体:NPO法人キャンサーネットジャパン)を取り、2013年に「京都乳がんピアサポートサロン~fellows~」を立ち上げました。京都市内で行う個別相談を中心に、乳がんリハビリヨガや集いの会、セミナー開催など、多様な活動を展開中です。
乳がんは、いかに生き抜くかが問われる病
乳がんは、日本女性の12人にひとりが罹患するといわれ、それは年々増加傾向にあります。30代や40代という若い世代に罹患者が多いのも特徴です。その進行は比較的ゆっくりで、早期発見・早期治療で完治も望めることが多いのですが、ただ、その治療期間は長期にわたり、身体的、精神的、そして経済的な負担がとても大きいものです。つまり、不治の病というよりも、いかに病と付きあい、生き抜くかが問われる病だということです。
乳がんを生き抜くことに必要なことは?―そう問うてみたら、羊子さんは、「今、生きていることを大事にできること。たくさん笑って、今日も楽しかったって思えること」と。だけど、再発の不安におびえつつ、抗がん剤など苦しい治療を受けなければならないのですから、それが簡単でないことも羊子さんは十分に分かっています。「だからこそ、ピアサポート=同じ体験をした者たちが支えあう場が必要だって思ったんです」と。
「生きることに前向きであるための選択でした。」
ピアサポートは、医療従事者ではなく、「ピア=仲間」の支えあい。ですから、コーディネーター役であっても、果てしなくボランタリティーな役目です。最近になって、厚生労働省も「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」を政策課題に据え、がんと共に生きる人たちへのサポートの必要性に言及するようになりましたが、まだまだ、ピアサポートという患者同士が支え合う活動への理解は薄く、「思い」なくしては続けられない活動です。
羊子さんの個別相談は、3時間におよぶことも珍しくなく、ともかくじっくり時間をかけて、思いを吐きださせてあげることを大切にしています。
「例えば、乳がんは、交通事故や心臓疾患のように『さよなら』も言えずに亡くなってしまうよりは、死に方として恵まれている、なんて考え方もあるわけです。励まそうとしてそう言うのかもしれないです。でもね、自分が乳がんになったことに打ちのめされている人にとっては、そんな言葉で納得できるのか? なんです。慰めや励ましの言葉は、その人の心に寄り添わないと傷つける言葉になってしまう。ともかく、じっくりと気持ちを聴いてあげたい。泣き言でも愚痴でも」
「ひとりじゃないからね。私はここにいますよ。」
今の時代、ネットで検索すれば日がな一日過ごしてしまう程、乳がんという病気の知識や体験談はあふれています。でも、そこには「聴いてもらう」という双方向性は希薄です。どんなに詳しい情報や切々と訴える体験談があっても、私の思いをちゃんと吐き出すことができないと、孤独や不安は埋められないのかもしれません。羊子さんと出会って元気をもらえる患者さんに思いをはせていると、「いつもね、最後にこう言うんですよ」と羊子さんの言葉は続きました。
だいじに生きる 楽しく生きる
「今はつらくても、絶対に浮上できますよ。ひとりじゃないからね。少なくとも、私はここにいますよ」って。
「前向きに生きていきましょう」のメッセージを伝える羊子さんの暮らしぶりは、それはマルチな趣味人でした。
粋な着物をきこなして、二胡を弾き、ガラス細工は作品展を毎年開催する腕前。クリーンプラザおとくにのガラス工芸教室には10年来通っています。毎年、秋には、自宅展「At Yoko」を開催し、作り貯めたアクセサリーやキーホルダーなどの作品を販売しています。売り上げはピアサポートの活動に寄附するため、羊子さんの活動を応援する仲間たちが毎年、楽しみに訪れてくれる恒例行事です。
今を大切に生きるために、仲間たちに寄り添い、寄り添われ、それは豊かな暮らしです。そして、羊子さんの一番の伴走者は、羊子さんが迷っている時、「それでいいんじゃない」「そうするしかないね」と、背中をポンと押してくれるお連れ合い様なんだ
と、最後に素敵なおのろけを伺いました。粋な着物姿の羊子さんですが、お連れ合いさんは、友禅染の重要な工程である「糊置のゴム糸目」のベテラン職人さん。ご自宅の工房でお仕事をなさっています。「身近にあった着物なのに、ちっとも着てなかったの。でも、着てみようかなって思い立ってね。今は、暮らしの中に着物で過ごす時間が増えました」と。
庭先で撮影をしていると、ちょうどジョギングから戻られたお連れ合いさま。照れながらも仲良くカメラに収まり、素敵な笑顔をいただきました。
実は、私も乳がんになりました。昨年末に健診で疑いを指摘され、年初に確定。画像診断では、かなり深刻な状態が宣言されていました。結果的には、術後の病理検査で転移の可能性が極めて低い型だったため、抗がん剤などの術後治療を免れました。3月のことです。3か月間、ちょっと異次元の世界に行っていたような感覚でした。それこそ、ネットを来る日も来る日も検索する日々で、3か月後、半年後…の自分の状況を思い描き、焦りの中にいました。乳房を失うとか、10年後に命が無いとかは正直どうでもよく、この半年の軌道修正をどう自分に納得させるかの苦しい時間でした。
乳がん患者というにははばかられる経験ですが、3か月間に切実に欲したのは「分かち合える人」。それが家族や友人であれば幸せでしょうが、そこに求められない人、あえて求めない人もいるでしょう。近しい人だから、泣き言が言えないこともあるのです。
闘病のさなかに、「聴き手」となることを選択した羊子さん。その役割の重さが実感できるだけに、強さと優しさには敬慕の念をいだくばかり。かくありたいと心から思った出会いでした。 (松野敬子)
ピアサポート(無料の個別相談・要予約)
●活動日/毎週金曜(吉田担当)11:00~16:00
毎週火曜(横治担当)12:00~16:00 第3金曜 18:00~20:00
●場 所/(株)太洋堂ビル4F 京都市右京区西院上花田町4
(阪急西院駅・地下鉄東西線西大路御池駅 徒歩8分)
●連絡先/ e-mail at.yoko2010@gmail.com TEL 090-7106-8174
出張ピアサポートなども可能。 詳しくは、 http://kyotopeersupport.com
乳がんリハビリヨガ(要予約)
●活動日/偶数月の第1土曜午後 小規模保育園Cherry’s Hug東向日園の2階
奇数月の第1金曜午後 (株)太洋堂
●費 用/ 1000円
乳がんセミナー in Kyoto
「がん告知から治療までのステップと心のケア」
7月31日(日)14:00~17:00
キャンパスプラザ京都 4階第4講義室 ※参加費 500円
※申し込み・問合せは
吉田さん(TEL 090-7106-8174)まで