今このひとに会いたい…P2
竹アーティスト三橋玄さん
2017年バンブーカフェから
2018年バンビオ・イルミネーションへ
「この謝金の範囲で、何か小さな作品でも飾っていただけませんか?」。 JR長岡京駅前を拠点に地域のにぎわい活動をする団体のスタッフが、なんとか用意できるわずかな謝金を提示して三橋さんにお願いをしたのは、昨年の10月のこと。「今思えば、なんと厚かましいお願いをしたものか」とくだんの女性は笑いますが、 「どういうわけか」三橋さんは承諾くださり、バンビオ1番館3階ホール前のホワイエに、 12月8日から15日のバンビオバンブーカフェ期間、1週間限りの三橋玄・竹のオブジェinバンビオが実現したのでした。
赤と青にライトアップされ、大きな窓に浮かび上がった竹のオブジェ。駅から続く歩道橋からも楽しむことができるほどの大作でした。広場公園に広がるイルミネーションと相まって、なんとも幻想的な世界が展開され、三橋作品に魅せられた人も多かったはず。たくさんの方が三橋作品にふれ、心動かされ、ここからまた新たな試みを実現するべく動き始めました。
そして、それが結実したのが、今年のバンビオ・イルミネーションの刷新プランです。総合プロデューサーを三橋さんが務め、竹をふんだんに使ったイルミネーションが実現する予定です。
さて、是非とも聞かねばならないのは、「どういうわけ」でバンビオでの作品展示に応じていただけたのか、 です。
「ぼくは、依頼があった仕事は基本的に実現しようと思っています。こういう条件じゃないと受けない、みたいな気持ちはありませんよ。だた、ここには、竹のまちというだけあって、職人として竹に携わっている専門家がいますよね。伝統産業の中に組み込まれた竹工芸の世界は、基礎が叩き込まれた職人の仕事。そんな技術を持ちながらも、新しいことにもチャレンジしたいと言ってくれる人と出会ったことが大きかったですね。奈良県で竹林整備をしながら創作活動や商品開発をしているんですが、竹の専門家はいても、一緒にアート作品を創ってみようということはめったにないんです。彼らと組むことで、今後の広がりや可能性を感じたからですかね」と。
竹のまち・乙訓地域で、営々と続いてきた竹の職人たちへのリスペクトであると言っていいのかもしれません。なんとも、うれしいことです。このプロジェクトに協力しているのは、乙訓の新進気鋭の竹職人、長岡銘竹の真下彰宏さんと高野竹工の西田隼人さん。最強のメンバーが揃いました。
竹アーティスト・三橋玄の誕生ストーリー
意外ですが、竹アーティストとして確固たる地位を築きあげている三橋さんですが、芸術系の学校を出たわけでも、工芸職人に弟子入りしていたわけでもないんです。いえいえ、 むしろ、竹の扱いを誰かから学んだことすら無かったと言いました。
「竹アーティスト」三橋玄が生まれるまでの、半生記はなかなかドラマチックです。
1972年生まれ、現在46歳の三橋さん。1970年代に子ども時代を過ごし、多感な思春期・青年期は1980年代。その時代を彼は、「破壊と汚染の世代」と表現しました。戦後、高度経済成長を成し遂げたけれど、その成長の陰で明らかになった様々な公害問題。それまでの価値観への疑問が沸き起こった世代であったということでしょう。大学時代には「地球を救おう」というスローガンのもと環境問題に傾倒したということですが、人間が生活すれば否応なく自然が破壊されるようにも思え、その矛盾に嫌気がさし、環境問題から抜けてしまったのだといいます。「自然にとって人間こそが『害』。そもそも、破壊している当事者である人間が「地球を救おう」なんておこがましい気がしたんですよ」と。そうして、20代は世界中を旅することで日々を暮らし、30歳を前に東京に戻ります。
帰国後は、先々で撮り貯めた写真を売ろうか…と。すると、「写真展をやらないか?」とのオファー。東京のオシャレなバーでしたから、照明を落としての展示。「それなら!」とひらめき、バーの壁に写真をスライドで投影してみます。それもまた話題を呼び、ミュージシャンとのコラボや屋外での上映会などへと展開してゆきます。そうこうするうちに、スクリーンにこだわりたくなり、動くスクリーンや透けるスクリーン、巨大なスクリーン…と。「歪がみ、重なり、動く独自のスクリーンを制作し、映像に包まれた空間を作るようになる」とプロフィールに書かれてありますが、これは「インスタレーション」という場所や空間全体を作品として体験させるアートだということ。この世界で、アーテイストとして高い評価を受けるようになりました。そんな中で、出会ったのが竹という素材でした。
「真っ直ぐ」が信条のような竹ですが、細く割いていけばそれは全くことなる様相を示します。しなやかな曲線となった竹は、縦横無尽に空を舞い、神々しく、躍動感に溢れた作品に変わります。そして、それらの作品の舞台となっているのは、著名な寺院や城、森林公園や海岸、ロックフェスの野外ステージ、さらには、表参道のショーウィンドウや茶室の床の間、ホテルのロビーや結婚式場、公共空間など…、 「場」が果たす役割や規模も全く異なっているのに、どこに在ってもその空間と呼応するかのようにしっくり収まっているのが、三橋マジックです。
竹から教えられたこと
「扱い方を知っている」——-ノコギリ1本を持って、初めて竹ヤブに入った時、三橋さんはこう感じたといいます。一人で伐り倒し、一人で運びだし、それを細く割っていく、そんな一連の作業は、誰に教わったわけではないのに当たり前に出来ることだったと。そう言われてみれば、たしかに、チェーンソーもクレーンもトラックも必要とせず、人の力で御し得るのが竹です。だから、人は、縄文の昔から、竹林に分け入り、筍を食べ、伐りとった竹で家を建て、雑器を作り…と、生活の隅々まで竹の恩恵を受けて暮らしてきました。近年になって、プラスチック製品などの氾濫により、竹が見捨てられてしまっただけ。山を侵食する竹ヤブが邪魔者のように扱われていますが、それは、 人と竹との関係が途切れた結果です。
「そう、竹は人の手が入ることで美しい竹林になるんですよ」。かつて思い至った、人と自然の「破壊する者、されるもの」という不幸な関係性は、竹に関しては違っていることに竹を伐り、作り続ける中で気が付いたというのです。つまり、竹は人の手が入らないと、その強い生命力で過密になり、うっそうとしたヤブになってしまいます。人が利用するために伐り倒し、適度に整備することで美しい竹林になり、竹も真っ直ぐに育っていくのです。「竹から、人と自然は共生できるってことを教えられたんです」と。
三橋さんが語る「竹」。乙訓地域の手入れの行き届いた竹林の美しさを思い、誇らしい気持ちが広がりました。
かくして、そんな「近しい竹」に魅せられ、三橋さんはどっぷり竹と付き合い始めます。
いざ、竹を素材に作品創りを始めてみると、「人って竹が好きなんだなぁ」と実感することばかりだったと。海外に行けば「Japan!」ともてはやされ、日本人には「懐かしい」と言われる。軒先で竹を割っていると、「何やってるの?」と人が覗きにくるのだとか。「本当に竹って不思議ですよ。バーナーで金属を切ってても誰も近寄ったりしないでしょう?でも、竹だったら、近寄ってくるんですよ。竹は面白いですよ」と笑います。
新しい試みとなる今年のイルミネーション。電飾の数が何万球だとか、その数を競うイルミネーショとは一線を画したものになります。一歩踏み出す産みの苦しみは、託した側にも託された側にもあることを、何度も重ねる会議をのぞかせていただいて感じました。
「私は、竹に出会い、竹に導かれて人に出会い、世界を広げてもらいました」(三橋玄HPより)。こう語る三橋さんが、新たなチャレンジの場として、ここ長岡京を選んでくれたことに、導いてくれる「竹」の力を感じます。竹のまちである幸せを実感できるイベントに育っていってくれるといいな、と願わずにいられません。 (松野敬子)
-Information-
バンビオ・イルミネーション2018
2018年12月7日(金)~ 1月14日(月・祝)17:00∼23:00
12月7日(金)点灯式