今このひとに会いたい…P2
トライアスリート 山本康貴さん
2020 年東京五輪へ王手をかけるトライアスリート
トライアスリート、つまり、トライアスロンの選手です。トライアスロンとは、水泳、自転車、ランニングの3種目を一人の選手が連続して行う耐久競技。フルマラソン42.195kmに加えて、波の立つ海を泳ぎ、山道を自転車で行く…というような「鉄人競技」とイメージしている方も多いと思いますが、そういった鉄人的な種目(名前もアイアンマン・ディスタンス<鉄人距離>といいます)もありますが、オリンピックなどで採用されているのは、水泳1.5㎞、自転車40㎞、ランニング10㎞のオリンピック・ディスタンスといわれているもの。山本さんは、 この競技の「エリート」と呼ばれるトップ選手であり、その中でも、決められた大会で成績を残し、認定記録会で標準記録を出した選手だけが指定される、 日本トライアスロン連合(JTU)の強化指定選手でもあります。まさに、2020年、東京五輪の代表選手選考に王手をかける、若手トライアスリートなのです。
山本さんがトライアスロンを始めたのは、中学2年生の時。3歳から始めていた水泳が「イヤになったから」と笑います。水泳でも小学5年生の時には、全日本ジュニアで9位になったという、堂々たる成績でした。しかし、スポーツ選手には有りがちなことなのでしょうが、伸び悩む時期も当然やってきて…。そんな時に、両親から勧められたのがトライアスロンでした。水泳はもうイヤだけど、スポーツは何かやっていたいという気持ちもあり、現在も所属する「トライアスロンチームAS京都」(旧名:チームケンズ京都)、に入会しました。
「最初は、ただの習い事、くらいの気持ちだったんですが…」と笑う山本さん。
そんな彼を本気にさせ、日本を代表するトライアスリートに育てたのは、AS京都の主宰者であり、 監督でもある内山勇さんです。
AS京都、内山勇監督との出会い
事務所を訪ね、最初に応対して下さったのは内山監督でした。AS京都は、山本さんだけでなく、日本のトライアスロンを牽引するたくさんの選手を育成している名門チーム。その監督である内山さんは、それこそ、 日本のトライアスロン界の重鎮だという予備知識を持って訪ねていたため、イカツイ、張り詰めるキンチョウカン…などと勝手なイメージを持っていたのですが、 そんなものは瞬時に消え去る、柔和な笑顔が出迎えてくださいました。
監督から団体について伺うと、AS京都は、意外にも小学生から社会人まで、幅広い会員が所属する地元密着のスクールだということ。特別な才能のある選手だけを養成するというよりも、日本ではまだまだ競技としての歴史の浅いトライアスロンですから、「まずはトライアスロンの楽しさを知ってもらいたい」というのが内山監督の思いだと。でも、結果的に、 そんな中から、何人ものトップ選手が育成されていくのですから、それはすごいことです。「『楽しい』から始まっても、そこから『もっと頑張りたい!』と思う子は出てきます。そんな子を、きちんと上達させる指導をしていくのが監督です」と。スポーツ界の師弟関係のドロドロぶりが、世間を騒がせているだけに、スポーツとの向きあい方、子どもとの向きあい方として、超一流の指導者とはかくあるものかと思わされます。
山本さんに内山監督と出会った頃の思いを尋ねてみると、「全部が新鮮で、楽しかったですね。もちろん、監督の指導は厳しいんですが、僕のために言ってくれていると納得できたんです」と。親や先生の期待に添って頑張れた子ども時代から、 自立への渇望と不安に揺れるのが思春期。 山本さんにとって、トライアスロンとのシアワセな出会いは、内山監督の下だから可能だったのかもしれません。「いい監督に出会えて良かったですよね」の言葉に頷きながら、山本さんはこう言葉を足しました。「水泳をやめてしまった僕に、トライアスロンという新しい世界を勧めてくれたのは両親。それから、ずっと競技生活を支えてくれています。両親にも感謝しています」と。
一日一日練習を積み重ね、 自信に
中学2年生の山本さんを夢中にさせたトライアスロンの魅力は、意外にも、「水泳だけでは結果が出ないこと」だといいます。だから新鮮だったと。「バイクとランという新しい種目、それを練習することが楽しかったですね。練習すればドンドン強くなれるので、達成感もありました。それに、水泳が得意というのは、有利なので…。水泳をやっていて良かったなとも思えたのも、嬉しかったです」と。 かくして、2013年には、アジア選手権ジュニア代表選手に選ばれ、それ以降、数多くの国内外の大会に出場し、2014年の日本ジュニアトライアスロン選手権で優勝。さらに、2017年、インドネシア・パレンバンで開催されたASTCトライアスロンアジア選手権にU23 日本代表として出場し、みごと優勝を果たしています。
もちろん、いつもいつも順風満帆ということはけっしてなく、たくさんの悔しさも味わい、それでも頑張り続けた結果です。毎日、プールで1時間半泳ぎ、自転車も短くて1時間半、長い時には5時間近くも漕ぎます。さらに、ランニングも…。そんな地道な練習を一日一日積み重ね、オリンピック・ディスタンスの51.5㎞を、山本さんのようなトップアスリートたちは、たった2時間程度で完走してしまうのだとか。この過酷に凝縮された2時間を思うと、アスリートならぬ身には途方もない時間に思えます。どんな「思い」でゴールを目指しているのでしょうか?
「ゴールの瞬間の達成感」だと山本さん。「一日一日積み重ねた練習があるから頑張れる。絶対に、無駄にしない!」という強い思いに背中を押されフィニッシュ。それが何ものにも代えがたい達成感なのだといいました。
「プロであれ!」 父の言葉を力に
大きな舞台で、 そんなたくさんの達成感を積み重ね充実の学生時代を過ごした山本さん。この春、立命館大学を卒業します。さあ、この先です!アスリートとしての進路を決する、ちょうど只中にあり、答えを出したばかりだと教えてくれました。
アスリートとしての進路は、実業団に所属するか、プロになるかの二者択一。そして、山本さんが選んだ道は、プロ。年間400万円∼500万円は必要だという競技生活を維持する費用を、自分に投資してくれる企業・団体を求めていくことになります。トライアスロンは、国内外の試合への参加遠征費用や自転車などの整備に、比較的費用負担が大きいスポーツです。実業団なら、少なくとも、そんな費用の心配をすることなく競技に打ち込めるのがメリットでした。しかし、彼の選択は、より厳しいプロへの道でした。高校生の時から、海外遠征に参加し、その中で出会う世界のプロチームやトップトライアスリートたちを見てきたという山本さんですから、プロという決断は、迷いはしますが、 突拍子もないというものではなかったようです。ただ、「(お金のかかる競技だけに)これ以上親に迷惑をかけたくない」ということ。
「プロであれ」―そう言って、迷う自分の背中をポンと押してくれたのは、お父さまでした。これほど、端的に力を与えてくれる言葉はないだろうな、と思います。山本さんも「感謝しかないです。そんな言葉を言ってくれる親って、他にいないと思いました。だから、絶対にやるしかない、と決意しました」と。
さあ、2020年の東京五輪まで、あと2年。今年からはその代表枠を見据えた大切な日々になるということ。乙訓地域から五輪選手の誕生に期待が膨らみます。
「いえ、出ればいいというものでもないと思っています。世界の中で、いい戦いができる力をつけていかないと!」と、キリっとした表情になる山本さん。日本男子のトライアスロンのレベルはけっして高いとはいえず、立ちはだかるのは世界の高い壁。それに挑むことが、本当のチャレンジなのだと。内山監督からも、「東京だけじゃないですしね。その次のパリ五輪、さらにその先のロサンゼルス五輪と、成長していくはずです。トライアスロンは、毎回違う自然環境の中で、状況を見極める力も必要。それにはたくさんの経験が力になる競技です。ですから、年齢を重ねることはマイナスではないんです」と。
素晴らしい指導者と親御さんに見守られ、これからもさらに大きく成長していくだろうアスリート・山本康貴さん。乙訓から五輪選手が!という期待はもちろん大きいですが、それ以上に、この先、彼はどんなアスリートに、いえいえ、どんな成熟した大人になっていくのか、ワクワクします。
(松野敬子)
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