14歳で料理人になると決意、住み込みで修業をする。
久世さんは、1983年に中学を卒業するとすぐに寿司職人になるために、住み込みで亀岡の「誠寿司」へ就職しました。この頃すでに日本の高校進学率は、94%を超えていました。クラスの友人がほとんど高校に行く中で進学せず就職という選択は、勇気のいることです。「勉強が嫌いでしたから」と久世さんは笑いますが、送り出す親御さんも相当の覚悟がなくては出来ないことです。住み込み修業中は、「とにかく厳しくて、失敗すれば殴られるのは当たり前。朝から夜遅くまで1日14時間は働いていました」と久世さん。
誠寿司で7年が過ぎたとき、親方が久世さんの将来を考えて「他の店に行って和食を覚えた方がええ」と店から出しました。それは7年間で寿司職人の技術をすべて習得したということに他なりません。そして京都の老舗料理店「京料理やまの」へ行き、日本料理のイロハをたたき込まれます。お店の料理長(“親父”というそうです)について修行を積みました。和食調理の五法(生・煮る・焼く・揚げる・蒸す)を現場で学び、一通りの日本料理を作れるようになって、初めて一人前と呼ばれます。
修行時代は調理技術だけではなく、先輩の動きや店の流れを把握して、料理をタイミング良くお客様にお出しできるよう、段取りを組む力をつけることが非常に重要です。盛り付け、焼き場、揚げ場、蒸し場、煮方などを経て、最後に辿り着くのが「板場」というお刺身を担当するポジションです。
和食料理人の世界は、独特です。師匠である親父さんが店との折り合いが悪くなるとか、あるいは他店に引き抜かれたりすると、弟子も一緒に移転します。久世さんは親父さんと共に、日本料理店や旅館など様々なお店を点々と渡り歩きました。