今このひとに会いたい…P2

いんふぁんとroomさくらんぼ 多胎児支援スタッフ・小野 汐里さん

三つ子の子育てを想像してみてください

 連日報道される子どもの虐待事件。この三つ子のママの事件も、そんな虐待事件の一つであることは間違いないのですが、その一方で、裁判で明らかにされた三つ子の育児の過酷さに、多胎児のママたちを中心に「支援があれば防げた事件」との声があがっています。汐里さんも、声をあげた一人です。 

 多胎児—双子や三つ子のことをそう言いますが、多胎児の子育てを想像できますか?
 2時間おきの授乳におむつ替え、新生児を迎え入れた家庭では誰もがしていることだけど、それが3人分になるとどうなるのか。手は2本ですから2人同時になんとか与えられても、時間差でもう1人となり、結果、授乳に要する時間は1時間を超えます。しかも、多くの場合、多胎児は低体重で生まれてくるため、一度の哺乳量も少なく、それだけ頻度も高くなります。その合間に、沐浴もさせ、洗濯や掃除など家事もあります。そこにまだまだ幼い長子もいれば、その子のお世話も必要です。汐里さんも、三つ子の上に2歳違いのお姉ちゃんがいて、4人の女の子のママです。4人を四方に寝かせて、その真ん中に体育座りをして夜を過ごしていたと当時を振り返り、「休憩なしの24時間稼働ミルクオムツロボットでした」と笑いました。今なら笑って言えても、その当時は…と思うと、胸が苦しくなります。

 国の人口統計によると、不妊治療の影響もあり多胎児の出生率は増加傾向にあります。全出産の2%超え、年間約2万人の子どもが産まれています。そして、多胎児家庭の虐待死の頻度は、単胎児家庭に比べ2.5倍~4倍にものぼるといいます。虐待のハイリスク要因として多胎児家庭は認識されており、支援対象として自治体は把握し、保健師の家庭訪問も実施されているはずですが、その先の支援はまだまだ十分ではないことが、今回の事件で露わになったのです。

 愛知の虐待死事件を受けて、汐里さんはSNSで、苦しかった当時の思いをこんな風につぶやいていました。
 「産後うつの状態で、1日トータル1時間睡眠で踏ん張ってきた母親はまさに私と同じ(中略)。自殺を考えたけど、自分だけ死ぬと、子ども4人と残された夫が不憫すぎると思い、三つ子と一緒なら…と三つ子を乗せた車で寝ていないボーっとした頭で知らない山道をよく走っていた。もう1つの選択肢はこの母親と同じく、誰か1人を虐待して(そう認定される程度のことをすれば~)…そうすれば子ども達は今よりは乳児院という環境でたくさんの大人に囲まれてお世話をされて育つのではないだろうか…そして自分も十分な睡眠と食事がとれる…。今思うと異常だけれど、その時はそれしかないと思っていた」。

 

 

多胎児の子育てはヒトを壊す破壊力がある

 汐里さんが三つ子を授かったことが分かったのは2015年の春。当時、夫は海外に単身赴任しており、汐里さんの実家も夫の実家も遠方。長岡京市での出産と育児は不可能に思えました。思案の結果、産前から夫の実家に身を寄せることにし、産前産後で1年以上を九州で過ごしています。その後、汐里さんの実家も頼りました。頼れる家族がいたということで、けっして孤立無援に新生児を迎えたわけではなかったのですが、それでも追いつめられていくのが三つ子の子育てだったといいます。

 あらためて、SNSでつぶやいた思いを訊ねてみると、「夫や私の実家には、感謝の気持ちはもちろんあるんですが…」と前置きしつつ、「家族もみんな疲れ切って、正気じゃなくなるんです。行政の支援を受けたいって思っても、義父母の前では、『困っています』とも言いにくい…。体重測定程度の、ごく普通の訪問以上の支援は行政からはありませんでした。切羽詰まって、どんなにお金を積んでもいいから誰かに助けてもらいたいと、ベビーシッターやヘルパーの派遣会社に電話しても、4人の乳幼児を見て欲しいと伝えるだけで「無理です」と言われました。たいへんの度が過ぎると、ヒトは壊れるんだと知りました。多胎児のしんどさはヒトを壊すには十分な破壊力です」と。

 産後に実家を頼ることは、しごく一般的で、赤ちゃんを囲みシアワセな家族の姿を想像してしまいがちですが、少なくとも、多胎児の育児はそんな生易しいものではないのだと教えられます。家族だけで負えることではないのです。
 「一年だけでいいから、必要としている人に必要な支援をしてあげて欲しいんです。そうすれば、乗り越えられると思います」と。

 

 

長岡京市は先進的な支援のシステムがあるまち

 家族のいない長岡京市での出産育児は無理だと汐里さんは判断しましたが、実は、汐里さんが三つ子を妊娠した2015年の時点でも、長岡京市には民間と行政が連携し虐待のハイリスク家庭への具体的な個別支援の制度がありました。2006年に、虐待により3歳の子が餓死するという事件が起きた長岡京市では、行政と子育て支援団体が「二度と虐待事件は起こさせない」との思いで、2011年から自主活動として訪問支援を開始しています。それが評価され、2013年からは「養育支援訪問事業」として市の事業となっていました。ただ、この事業は、支援の必要な家庭がピックアップされて初めて「利用しますか?」と提案されるため、里帰り出産を選んだ人にはサービスの存在すら伝えられることはないものです。もしも…なんて言っても仕方がないことですが、汐里さんが長岡京市で出産育児をしていれば、最初の一年の育児生活は違ったものになっていたかもしれません。

 そんな長岡京市の取り組みを知った汐里さんは、「支援する側になりたい」と、昨年の秋、子育て支援団体「いんふぁんとroomさくらんぼ」のスタッフとして一歩踏み出しました。同団体は、長岡京市と向日市で、この「養育支援訪問事業」や未就園児の親子の居場所である「つどいの広場事業」の運営を担っています。

 つい先日、汐里さんがスタッフとして勤務している、向日市の「子育てひろば・さくらんぼ」に、この秋に三つ子を出産したママが3人を連れて汐里さんに会いに来てくれました。訪問看護のサービスを受けながら比較的穏やかに三つ子の子育てをしているという話に、汐里さんも笑顔になります。訪問看護が終了する1月から、汐里さんが養育支援訪問をすることも決まっています。

 

 

ママたちの優しい支え合いの輪が広がりますように

 大手企業の総合職としてバリバリ働いていた汐里さん。「三つ子のママ」という、予期せぬ展開となった人生に、「思い描いていた人生とはずいぶん違ったものになりました」と笑います。そして、「でもね…」と、自分自身の変化をとても素敵な笑顔でこんな風に語ってくれました。

 「努力すれば解決できる、お金があれば解決できるとずっと思っていたんです。でも、そんなものでは、どうにもならないことがあるんだってことを三つ子の子育てが教えてくれました。結局、そんな時に助けられるのは人の優しさなんですよね。人とちゃんと繋がっていられるかが大切なんだと思います。困っている人がいれば声を掛けられる人になりたいですね。私も声を掛けて欲しかったから…」

 楽になったとはいえ、まだまだ4人の子どもたちとの暮らしはたくさんの「困った」で溢れています。そして、あの壮絶な日々のことは、未だに気持ちの奥底でうずくことがあるともいいます。時折、どうしようもなく怒りの感情がこみ上げ、眠れなくなるのだと。そんな自分の気持ちに向き合うためにアンガーマネジメントの勉強にもいきました。

 こうして、助ける人であろうと一歩踏み出した汐里さん。彼女の周りに、ママたちの優しい支え合いの輪が広がっていくことを願っています。   (松野敬子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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