Zoom Up…P6

とっておき‘の旬な情報をZoom UP!「残す」

結髪という日本の伝統文化を残す

今は必要とされていなくても、残さなければならないことがあります

 「日本髪」とも言われるように、長い歴史の中で、日本の女性たちは、たおやかな黒髪を結い上げ、時代時代のスタイルを創ってきました。今では、日常的に結髪をする女性はおろか、和装の結婚式でも結髪という人はまれ。その一方で、結髪の技術を身につけるには何年もの修行が必要です。需要がないのですから、技術を習得しようという人は減っていくのは無理からぬこと…。

 「結髪というのは、素晴らしい日本の文化なんですよ。美容師として、この文化をなんとか残したいと思っています」と長岡京市で美容室を営む倉橋杏奈さん。花魁や舞妓の結髪の技術を持つ京都の髪結師から「勉強してみない」と声を掛けられたのが15年前のこと。多忙を極めた美容師の仕事も多少は余裕がでてきた時期でもあったため、一念発起。京都市内まで毎週、2年間通い続け、結髪の技術を習得しました。さらに、その技術を基に、古文書などに残る奈良時代や桃山時代の結髪も再現し、それらの技術を伝承していくために「結いの会」を結成。京阪神の美容師に指導をしながら、結髪の素晴らしさを伝える活動もされています。

 

 今年で8年目になるのが、長岡京市の秋の一大イベント・ガラシャウィークに実施している「自髪結い体験会」。髪を結い、化粧をし、着付けをするという一連の技術を、まぢかで見学をさせていただけます。「結いの会」の美容師たちが、枝の長い特徴的な櫛を使い、熟練した技術でモデルの髪を結い上げていくと、見学の方たちは感嘆の声。奈良時代から江戸時代まで、13の結髪が披露されていました。モデルは、公募した一般の女性で、年齢も様々なのですが、どの結髪も自然で、よくお似合いでした。

 

 

実は、これからブームがくるかも…結髪で古式ゆかしい結婚式を

 「自分の髪を結い上げる自髪結いは、誰でも似合うんですよ」。そう言って、倉橋さんが見せてくださったのは、神足ふれあい町家で挙げられた結婚式のお写真。髪を結ってもらっているちょっと緊張したお顔から、結上がり白無垢に身を包んだ幸せそうな笑顔。そして、簪を変えてお色直しの打掛姿は華やいで、それは美しい花嫁さんです。

 文金高島田の鬘は似合わないからと、和装の花嫁さんも洋花をあしらった現代風のヘアスタイルが主流です。でも、自髪で結う日本髪は生え際が自然で、浮いた感じもなく、しっくり馴染むのだとか。和婚の人気が高くなっていますが、次は自髪結いがブームになるかもしれません。乙訓地域には倉橋さんの頑張りがあり、10数名の技術者が育っているということ。乙訓なら、結髪の古式ゆかし結婚式も夢ではありませんよ。

 

 

information

 

結いの会

長岡京市一文橋1丁目18-2 アロン美容室内

075-952-8933

yuinokai.machiya@gmail.com

https://www.yuinokai.club/

 

 

家のお引越し「曳家」

 

市の発展に貢献しつつ。先祖から受ついだものを守る「残し方」

 晴天の9月14日、100名もの見学者が見守る中、『曳家』というお家の引っ越しがありました。建物をジャッキで持ち上げ、そろりそろりと動いていきます。約2時間で、元の場所から数メートルの移動が完了しました。部屋の中の家具などもほとんど動いていなかったということですから、技術の高さに驚かされます。

 この曳家の施主は、長岡京市神足で、長く親しまれてきた八木酒店の八木浩さん。八木さんは、長岡京市の市議会議員でもあります。
 道路の拡幅にかかってしまった八木酒店。市の発展に貢献したいとの思いと、先祖から受け継いだものを残したいとの思い、その両方を満たす方法がないものかと、情報収集した八木さん。そしてたどり着いたのが「曳家」という選択でした。亀岡で曳家の現場があると聞いて、さっそく視察。「コレだ!」と思ったと八木さん。奥様も「高齢の義母の日々の生活を、出来る限り『そのまま』にしてあげたかったので、大賛成でした」とニッコリ。住み慣れた家を残すというのは、先祖への感謝の念と同時に、今暮らす家族への愛でもあったのです。

 移築を終え、道路から奥まった位置に収まったことで、豊かな商家の象徴でもある小屋根付きの袖壁=うだつや「八木酒店」のキリっとした文字がよく見えるようになりました。新しい八木酒店は、内装のリフォームが終われば、これまでと同じように看板娘の優しいおばあちゃまが店番をしている、まちの酒屋さんとして営業が再開されます。

 

information

八木酒店

長岡京市神足2丁目16-5

075-951-1016(改装が終わるまで閉店中)

 

 

280年の歴史を刻んだ、地元の誇り「「むこうまち富永屋」

「残す」ことの難しさはあるけれど

 向日神社の参道につながる西国街道沿いにある富永屋。400年前からある宿屋です。伊能忠敬、徳川慶喜と、この宿の滞在記録には誰でも知っている歴史上の人物がぞろぞろ。京の都にほど近い向日町、その中心地として、長く交通の要所であったことがうかがえます。

 現在も、様々な勉強会やマルシェなどもここで開催され、地域の人たちの交流の場になっているのですが、この夏、残念なことに解体という方針が示されました。
 歴史ある貴重な建物であっても、所有者は個人。古い建物を維持管理していくことは、並大抵のことではありません。大山崎の聴竹居を例にとっても、企業の支援と地域の人たちの「守りたい」という思いがあったからこそ可能となったのです。もちろん、富永屋も存続を念頭に、地道に行ってこられる方たちがいます。

 10月には、ドローンを飛ばし、建物の全容を記録しました。お椀をくるんでいた紙が江戸時代の宿帳だったり、額をよく読めば幕末の向日神社の神職にして著名な国学者である六人部是香の書だったりと、貴重な資料の発見も重ねています。

 所有者からの信頼も厚く、保存活動を行う「富永屋の会」の寺崎正直さんは、「今できることを後悔ないようにやっています。向日市の宝ですから、市民の憩いの場であり続けて欲しいと願うばかりです」と。残して欲しいと思っても、それを実現することの厳しさを知るだけに言葉少なく…。富永屋を愛する人たちの頑張りが報われることを祈らずにいられません。

 

information

むこうまち富永屋

向日市寺戸町東ノ段1番地

2020年以降の使用は未定。

イベントなどはfacebookから。

https://www.facebook.com/むこうまち富永屋

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