映像作家 吉光 清隆さん

水面がアートに変わる
ウォーターアートプロジェクション

八条ケ池が幻想的な光と音楽のアート空間に

 昨年の11月26・27日、晩秋の長岡京市で開催された「長岡京ヴァリエッタ」。「ヴァリエッタ」とは、イタリア語で「いろいろ」という意味ですから、この日は、今回で6回目になる音楽イベント「ミュージック商店街」やワンコインで市内のお店を巡る「ワンコインバルプラス」、そして、婚活イベントなど、秋を楽しむイベントが盛りだくさんに繰り広げられていました。その最後を飾ったのが「ウォーターアートプロジェクション」です。
 「ウォーターアートプロジェクション」とは、ビルの壁面などに映像を映しだす野外パフォーマンス「プロジェクションマッピング」の一種で、建物のような建造物ではなく人工的に創り出した巨大な水の壁(ウォータースクリーン)に投影する新しい手法です。世界的にもまだまだ珍しく、その第一人者が吉光さんです。
 舞台となったのは、長岡天満宮の八条ケ池。いつもは、亀や鯉がのんびり泳いでいる静かな池ですが、この日は、3000人以上の人たちがため息を漏らす、幻想的な光と音楽のアート空間となりました。
細川忠興とガラシャの愛が時を超え、新たな若い二人の愛へと引き継がれていくという、長岡京市民には胸キュンなストーリー。カラフルな色彩に彩られた美しい映像が、音楽とともに投影されました。上映時間はほんの10分。10分間の宴が終わると、魔法のようにまたいつもの八条ケ池に戻ってしまう…。ウォーターアートプロジェクションは、大型ポンプで吸い込んだ水を特殊ノズルから噴き出させ、高さ8m、幅20mにもなる巨大な水のスクリーンを出現させるという仕組み。 
ですから、池上にセットなどの建造物が組まれてはいないので、まさ
に、幻影のように現れ、消えていってしまいます。記憶の中に薄っすら
残った残像を反芻しながらの帰路。「キレイだったよね~」の声が聞こえ、私もつい頷いてしまいました。
 残念ながら雨模様の2日間でしたが、それでも八条ケ池には長い長い列ができ、最高1時間半もの待ち時間にもなったということです。

地元で作品を発表すること

 この作品を手掛けたのが、吉光さんら「ATWAS(アトワズ)」。
 ATWASは、メンバーを固定せず、企画ごとに変わるアーティストの持ち味を活かすことで、最高のパフォーマンスを提供しています。
今回のメンバーは、長岡京に5,000人を超える観客を集めた伝説の野外ライブ「長岡京ソングライン」の仕掛け人でもある岩野真一郎さん(音楽担当)や女優の中村真利亜さん(演技指導担当)。共に、長岡京在住のアーティスト。そして、出演者も、長岡京市を中心にパフォーマンス活動をする「乙訓戦国つつじ」のメンバー。
 ATWASの経歴をたどってみれば、世界をフィールドに作品を発表してきた、日本でも屈指の映像アート集団です。2012年、奈良県の興福寺で開催された「なら国際映画祭2012」でプロジェクションマッピング作品の発表を皮切りに、春日大社、東大寺、猿沢池で発表し、さらに、2016年にはカンボジアのアンコールワットでウォータースクリーン作品を発表するなど、まさにワールドワイドな活躍をされています。
 そんな世界的な活躍をされている映像作家であるにもかかわらず、地域密着のイベントにウォータースクリーン作品を発表することは、「念願だった」と吉光さんは言ってくれます。「名だたる観光名所や建造物を舞台にしたプロジェクトであっても、そこに関わる人たちは、自分の暮らすまちの魅力を伝えたいと奔走する人たちだったんですよ。そういう熱い想いの人たちと一緒に仕事をしており、私もそのまちを元気にするためにいい作品を作ろうと頑張ってきたんですが…。あれ、自分のまちのためにはやっていないなぁと…」と。
 長岡京市で作品を発表したのは、今回で2度目。一昨年のクリスマスには、長岡京市中央生涯学習センター・バンビオの10周年記念イベントとして、プロジェクションマッピングのオファーがありました。バンビオ1番館のビルに描かれたのは、サンタクロースが軽快な音楽にのって踊るコミカルな作品。長岡京のキャラクターのお玉ちゃんがこっそり混じっていたり、子どもたちも大歓声の楽しい作品でした。その後も、ワールドワイドに活動しつつ、地元での発表の機会を画策。
勝竜寺城公園のお堀でのウォーターアートプロジェクションの上映を「けっこういいところまで」計画していましたが、公園の使用には様々な制約があり断念せざるを得なかったという悔しい経験も。
 ですから、今回の八条ケ池での上映のオファーには「きたな!」という思い。ただ、予算的には潤沢とはいえず…。ウォーターアートプロジェクションを上映するには、高額な高輝度のプロジェクターなどの機材が必要ですから、それなりの費用がかかります。ATWASでは、可能な限り、自らの手の内でやれるように知恵を絞り、予算を押さえつつ、よりクオリティーの高い作品づくりをしていますが、作品としての完成度を求めるなら、より高性能な機材をたくさん使いたいもの。
「ヘタしたら持ち出しですが、そんなことよりも納得のいく作品にするということが最優先でした」と。それっくらいの覚悟と熱い想いで、臨
んだ地元での作品づくり。音楽担当の岩野さんとは、「これ失敗に終わったら、ぼくら長岡京に住めなくなるなぁ」としみじみ話したこともあったとか。地元で活動をするということは、ある意味リスキーなことなのかもしれません。
 かくして、本番。八条ケ池の畔には、あれよあれよと人の列が伸びていきます。吉光さんも、ここまでの人が出掛けてくれるとは思っておらず、「ちょっとなめていました(笑い)」と。そして、「大成功だと思っていますし、並んでくださった一人ひとりに心から感謝しています。でも、見られなくて帰られた人もいましたし、あんなに並んで上映は10分程度ですからね…」。大きな手応えを感じながらも、入場料を取らずに、市民全てを対象としたイベントのジレンマも漏らします。行列の長さが成功の評価になる反面、行列というのはけっして観客側からは「快」ではありませんから。
 それでも、吉光さんは、今回限りではなく、来年も、その先も、地元での活動は続けていきたいと語ります。「今回のストーリーは、来年につながる余白を残しました」「長岡京には、まだまだ、魅力的な場所や建物がありますから」と。
 吉光さんの作品づくりは、作品を発表する「場」を十分過ぎるほどリサーチし、その土地や建物の歴史、由来や伝承、そしてそこに暮らす人を入れ込んだ作品にすることを旨としています。その土地でやる意味をじっくり、じっくり考え、それらをよ~く咀嚼したら、そこから生まれてくるイメージで作品が出来上がるのだとか。そんな作品づくりへの想いを語る吉光さんの熱気のようなものを感じていると、私の大好きなあの景色、あの建物が、吉光さんの手にかかればどんな風に表現されるのかしらー、これは観てみたい!

今の時代だからできること

 ここ数年、そのインパクトで急速に注目を集め、人気の野外映像イベントとなっている「プロジェクションマッピング」。映像作家として、その最先端を行くのが吉光さんですから、当然、多忙な毎日です。ただ、最近、ちょっと「想い」が変わってきたのだと言います。
 「少し前まで、自分の作品をどこで発表できるか、いかにクオリティーをあげていくか、それこそが作品づくりのモチベーションになっていましたが、今は、それよりも、若いアーティストの発表の場を創りたいし、そこにキチンとお金が廻る仕組みを作っていきたいという想いが強くなりました」と。
 吉光さんが考える構想はこんな感じ―。長岡京市近辺か京都縦貫道で長岡京市とアクセスのいい丹波方面に、アーティストの発信拠点を作る。そこは、けっしてアーティストだけの閉じられたコミュニティではなく、地域の人も、観光客も、そして、もちろんアーティストのコアなファンも、そんな多様な人を巻き込み、価値を生み出す場所に育てていく。具体的な成功例でいえば、京都市内で日本発×日本初のノンバーバル(=言葉に頼らない)パフォーマンス劇場『ギア-GEAR-』。吉光さんも、劇場の立ち上げ当初映像担当者として、全ての映像を担当していた劇場です。座席数100席という小劇場で、5年間で観客動員数10万人を突破という快挙を成し遂げたといい、光や映像と連動したパフォーマンスのクオリティーの高さと、セリフを使わない「ノンバーバル」という演出が、子どもや海外からの観光客も呼び込めたことが成功の秘密だったとか。魅力的な発信力さえあれば、才能あふれた若者が集い、それを地域の人やそれを目当てにやってくる人たちとの交流の場にもしていくことができるんだと吉光さんは言い、それは、新たな地域の発信拠点となり、ひいては「地域のブランディング」という作業とも通じるはずだと続けました。
 「ブランディング」とは知名度を上げることが本質ではなく、たぶん、受け手の心に働きかけ、受け手にとって特別な価値を感じさせられるかどうかに、その本質はあるような気がします。八条ケ池で大きなインパクトをもって、地域に映像作家としての知名度を上げた吉光さん。「これから」を語る楽しげな吉光さんの言葉から、この次も、その先にも、観る人の心を鷲掴みにしてくれる「何か」があることが、伝わってきました。ここから何が始まるのか、ワクワクします!


【取材を終えて】 
 「これから」を語る吉光さんと、インタビューだということを忘れる勢いで、話し込んでしまいました。「地域に新たな出会いを生み出し、そこにはワクワクがあり、そして、お金が廻っていく仕組みを作り、持続可能なものにしていきたい」。ザックリ言えば、そんな夢。まさにそれは、この「おとくにSanpo」を通じて、私たちが模索している世界です。ここから、また何か化学反応が起きて、面白いことができるかも…と思わせていただけた、楽しい時間でした。 (松野敬子)

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